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子供のころから田舎の用水路で葦を竿として小鮒を釣ったり、中学生になるとクラスメートと釣りクラブを作って多摩川に通っりと「釣り」に親しんできた。
成人して一時期、釣りをやめていが、1994年頃から「磯釣り」にハマるようになる。

インストラクターに憧れて
磯釣りに興味を持つようになったのは、テレビで釣りのインストラクターである高橋哲也さんを見てからだ。
茶髪でファッショナブルなウェアに身を包み、磯の上を縦横無尽に走りながら魚との激しいバトルを繰り広げるスタイルに「カッコいい」と憧れ、自分もやってみたくなった。
しかし、「釣りに興味があるけれど何から始めればよいか分からない」と言う方が多いのではないか。
私もそうだった。
運がいいことに当時勤めていた職場に磯釣りの経験がある人がいった。
その事を聞きつけた私は、弟子入りを願い出たのだった。

師匠に連れられ千倉の磯に通う
私には、釣りの師匠が3人いる。
その中で磯釣りの師匠は、この職場の先輩「つっちー」さんだ。
しばらく釣りは、辞めていたようだが、私の願いを聞き入れて復活し、ホームグランドとしていた南房総の千倉の磯へ連れていってくれたのだ。

遠浅の千倉の磯は、干潮時に海底が露出する。
その浅くなった海を徒歩で渡ってポイントまで行くのが当地のスタイル。
よく知った人でなければ、とてもたどり着くことができないだろう。
無数にポイントはあるが、潮位や風向きによって入磯できる場所が決まっている。
それらを適切に見極めなければ釣果を得る事は出来ないし、危険である。

グラフィックス2
海底隆起によって南房総の海は遠浅となっている。
その為、干潮時には普段は海底となっている場所に歩いて渡っていける。
 
幸運にして弟子入りの許しを得たことで、長年に渡って多くの釣り師が通いつめて開拓してきたであろうマル秘ポイントを教えてもらう事が出来たのだった。

グラフィックス1
ポイントにコマセを撒く師匠。
一つ一つのポイントは長年、通いつめて開拓してきた場所である。

師匠の釣りスタイルはちょっと古くて磯用のスパイクが付いた長靴をはき、ビニールの雨合羽に麦わら帽子という御盛事にも洗練されているとは言えなかった。
憧れていたファッショナブルなものではなかったが、足元を波に洗われながらバシャバシャと磯を渡っていく釣り方は、趣があっり気に入ってしまったのだった。

憧れの魚との出会いはずっと先
師匠と千倉に通うようになり3年が過ぎたが、これと言った釣果を上げられずにいた。
その日は、めざらしく一人で入磯し、ご当地名物のスイカ釣りでクロダイ&メジナを狙っていた。
しかし、釣れてくるのは小物ばかり。
餌もなくなり、最後の一投のつもりで足元に落ちていた餌をつけて仕掛けを投入。
するとウキがスーとサラシの中に消えていく、アワセを入れると確かな手ごたえと共にドラグが唸り糸が出されていく。

頼りの師匠は今日はいない。
心臓が高鳴り、汗が吹き出し、足はガクガク震え、「どうかバレないでくれ」と願いながら慎重にやり取りをする。
時間にしてどれくらいだったのだろうか、とても長く感じられる時が過ぎて、ついに真っ白なサラシの中から黒い魚体が姿を現した。
ここでタモがないことに気が付き大慌て、コマセバケツで何とか掬い取り魚との勝負に勝利し、一人歓喜の雄たけびを上げたのだった。
後計1.2㎏のクチブトメジナ。
大騒ぎするようなサイズではないが、人生初のキロオーバーは感動と共に心に残る一匹となっている。

 1997.09.08-2
今はなき、白間津港の釣具屋「つり政」で人生初の魚拓を取ってもらった。
「つり政」は、私のハンドルネームとさせてもらっている。

磯釣りに勤しんだのは、10年ほど。
腰痛の為、磯に長時間立っているのが辛くなり「船釣り」へと転向することとなった。
しかし、自然と一体感が感じられる磯釣りは、今でも大好きなジャンルである。



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